元伊東市議会議員で、現在は静岡県伊東市長として活躍されている田久保真紀さん。
そんな田久保さんですが昔(若い頃)の経歴が、実はバイク好きでバンドボーカルの経験者だったとのことで、その意外性で話題になっております。
一体どんな生い立ちの人物なのでしょうか? 選りすぐり画像をもとに詳しく纏めていきたいと思います。
田久保真紀|幼少期から思春期へ――「弱さ」と向き合う日々

1970年2月3日、千葉県船橋市で生まれた田久保真紀さん。10歳の時、最愛の父親を病で亡くし、家庭の経済状況は一変します。
幼いながらも「社会的に立場の弱い人の痛み」を肌で感じた経験は、彼女の価値観に深く刻まれました。
中学3年生の時、家族とともに静岡県伊東市へ移住。進学したのは、静岡県立伊東城ヶ崎高等学校。

偏差値40と決して進学校とは言えませんが、ここで多感な思春期を過ごしました。
田久保真紀|ロックに生きた青春――バンドのボーカルとして

高校時代、田久保さんは音楽に夢中になります。
なんと、ハードロックバンドのボーカルを務めていたのです。バンド名など詳細は不明ですが、当時の日本は洋楽ロックが大流行。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズやボン・ジョヴィ、ニルヴァーナなどに影響を受け、ステージで熱唱する姿は、今の「ロックな市長」の原点とも言えるでしょう。

クラスメイトや先輩後輩たちと、放課後の音楽室や文化祭のステージで汗を流した日々。
自分の声で仲間を鼓舞し、観客を盛り上げる――この経験が、後の「人前で話す力」や「共感力」につながったことは想像に難くありません。
田久保真紀|東洋大学時代――自由奔放な日々と挫折

高校卒業後、東洋大学法学部経営法学科へ進学。
市の広報誌や選挙公報では「卒業」と記載されていましたが、実際には2025年7月に「除籍」であったことが判明し、話題となりました。
大学時代の田久保さんは、型にはまらない自由奔放な生活を送っていたと自ら語っています。
「大学時代後半は特に、かなり自由奔放な生活をしていたそうです。

いつまできちんと学校に通っていたのかと言われると、正直、いつまでときちんと答えられるような通学の状態ではなかった」
バイク便のアルバイトをしながら、全国各地を旅するような日々。
携帯もない時代、時には「住所不定」のような状態で、連絡がつかないこともあったとか。
学業よりも「現場で体験すること」に価値を感じていた田久保さん。
安定を求めず、バイク便ライダーやイベント人材派遣会社員、広告代理業など、さまざまな職を経験します。
まとめ――「弱さ」と「自由」が生んだ共感力

田久保真紀市長の若い頃は、挫折と自由、そして「弱さ」と向き合う日々の連続でした。
バンド活動で培った表現力、バイク便や多様な職業経験で身につけた現場感覚、
そして家庭の苦労を知る共感力――これらが、今の「しがらみゼロ」の市民派リーダーとしての原点です。
